オリンピックを観ていると、毎回のように話題になるのが「判定」です。
演技が終わった瞬間、会場がどよめいたり、画面の前で思わず首をかしげたり。画面の外でも、さまざまな反応が一斉に噴き出すような場面が続きます。
競技そのものは素晴らしいと感じているのに、結果が出た途端、気持ちが置いていかれる。そんな経験も少なくありません。
なぜオリンピックでは判定が問題になりやすいのか
テレビをつけた瞬間、すでに競技が佳境に入っていることも珍しくありません。オリンピックでは、普段あまり見ない競技を短い期間で一気に観ることになります。
ルールや流れを十分に理解する前に、重要な場面が次々とやってくる。だから、「何が起きたのか分からないまま結果だけが出る」感覚になりがちです。
さらに、国やメダルが関わることで感情も強く動きます。応援している選手がいればなおさら、わずかな差が大きな不公平に見えてしまうものです。
理解が追いつかないことと、感情の高まりが重なると、判定そのものが強く意識されるようになります。
判定が分かれやすい競技には、共通する特徴がある
判定が話題になりやすい競技には、似た傾向が見えてきます。一つは、速さや距離だけでは決まらない競技が多いということです。
ゴールした順番やタイムがそのまま結果になる競技では、納得しやすい。でも、動きの質や全体の印象が関わる競技では、「正解」が一つに定まりません。
観ている側が注目した部分と、判定に影響する部分が必ずしも同じではないからです。
説明を聞いても腑に落ちにくいのは、そのズレが自然に生まれる構造にあるのですね。
実際には、フィギュアスケートやショートトラックのように、競技ごとにこのズレの現れ方はかなり違います。
判定をどう受け取ればよいのか
判定は、競技を成立させるための線引きであって、感動や努力そのものを否定するものではありません。結果と印象は、必ずしも同じ方向を向かなくてもいいのだと思います。
すべてを理解しようとしなくても、観戦は成り立ちます。分からない部分が残っても、そのまま置いておいて構いません。
少し距離を保つことで、競技そのものの面白さに目が向くようになります。
次に観るとき、前とは違う場面が気になってくるかもしれません。それでいいのだと、私は思っています。

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