テレビをつけたまま、競技を続けて観ていると、ふと不思議な感覚になることがあります。
さきほどまで静かに見入っていたはずなのに、競技が変わった途端、画面の空気が一気に騒がしくなる。
その違和感は、内容を理解していないからではないのです。
同じオリンピック競技なのに、観ている側の気持ちの置き場がまったく変わってしまう。その落差に、気持ちの置き場を探す時間が生まれます。
フィギュアは落ち着いて観られるのに、ショートトラックはなぜこんなに感情が揺れるのか。私も長年、その違いを感じてきました。
なぜフィギュアは「静かに観られる競技」なのか
リンクに立つ選手を見つめ、音楽が流れ出すと、自然と視線は一点に集まります。
観客席も、テレビの前も、空気がすっと落ち着く。途中で誰かが割り込んでくることはなく、演技は一人ずつ進んでいきます。
今見ている動きが、今この瞬間のすべて。その感覚が、観る側に安心を与えるんですね。
ジャンプが決まったのに思ったほど点が伸びない場面に出会うこともありますが、それでも流れは途切れません。
結果は演技のあとにまとめて示されるため、途中で気持ちを切り替える必要がない。
この「待つ時間」が、静かに集中できる理由なのかもしれません。
なぜショートトラックは「感情が揺れやすい競技」なのか
一方で、スタートの合図と同時に複数の選手が動き出すと、目は忙しくなります。
誰を追えばいいのか、一瞬迷う。そのうちに接触が起き、転倒が起き、順位が入れ替わる。
さっきまで前にいた選手が、次の瞬間には姿を消していることもあります。しかも、結果はその場で確定するとは限りません。
ゴールしたあとに展開が変わる。そのたびに、観ている側の感情も揺さぶられます。
納得できないというより、追いつく前に次の出来事が起きてしまう。その速さが、「荒れて見える」印象を強めているのでしょう。
スピードスケートに親しんできた立場から見ても、ショートトラックを初めて観たときは同じように感じました。
良し悪しの話ではなく、最初からそういう構造で進んでいく競技なんですね。
こうした見え方の差は、判定そのものよりも、オリンピックという舞台で競技を続けて観るときに生まれやすい感覚とも重なっています。
見え方の違いは、競技の価値の違いではない
静かな競技と、ざわつきやすい競技。この分け方自体が、実は錯覚なのかもしれません。
フィギュアでは、緊張は演技の流れの中に置かれます。ショートトラックでは、緊張が一瞬ごとに表に飛び出してくる。その置き場所が違うだけなのです。
だからこそ、続けて観ると戸惑います。観る側の感じ方が切り替わらないまま、次の競技に入ってしまうからです。
どちらもオリンピックの一部であり、同じ舞台に並んでいます。見え方が違うからこそ、比べてしまう。
その違和感に気づけた時点で、もう観戦は十分に成立しているのだと、私は思います。

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