なぜフィギュアスケートは点数が分かりにくく感じるのか

テレビでフィギュアスケートを観ていると、ふと首をかしげてしまう瞬間があります。

大きなジャンプがきれいに決まったのに、思ったほど得点が伸びない。逆に、それほど派手ではない演技なのに、高得点で驚かされる。

テレビを見ていると、そう感じる場面は意外と多いものです。

転倒もないのに点数が低いと、「何が悪かったの?」と戸惑いますし、解説を聞いてもピンとこないまま次の選手の演技が始まってしまう。

素晴らしい競技だとは分かっていても、どこか評価の基準が見えにくくて、もやもやしたまま観戦している方は少なくないはずです。

私は雪国で育ち、スキーやスケートが身近な環境で過ごしてきました。

故郷からはスキージャンプやノルディック複合のオリンピック選手も出ていますし、身近にカーリングをしている知人もいます。冬のスポーツはずっと身近な存在でした。

だからこそ思うのです。スピードスケートなら、タイムという絶対的な数字があります。スキージャンプも、飛距離と着地の美しさで勝負が決まる。

カーリングも、ストーンがハウスに入ったかどうか、目で見て分かります。

けれどフィギュアスケートは、そういう分かりやすさとは少し違う世界なのだと。

なぜ評価が分かりにくく感じるのか

テレビに映るのは、ジャンプが成功したか、回転が美しいかといった場面が中心です。だから観ている側としては、「跳べたかどうか」が点数を左右していると思ってしまいます。

でも実際には、その瞬間だけで点数が決まるわけではないのですね。

得点も演技の後にまとめて表示されるため、どの動きがどう評価されたのかが見えにくい。

成功した瞬間と点数が結びつかないから、違和感が残るのだと思います。

それに、他の競技の感覚も影響しているのでしょう。

ゴールを決めたら得点、ミスをしたら減点という分かりやすい仕組みに慣れていると、フィギュアの評価はどうしても複雑に感じてしまいます。

何が「うまさ」として評価されているのか

ジャンプが続く演技でも、なぜか印象が薄いことがあります。

ジャンプが成功したかどうかよりも、「どんな流れで演技全体が組み立てられているか」が大切にされています。

ジャンプ、スピン、ステップ。それぞれが見せ場に見えますが、本当は一つの物語のようにつながっているんですね。

どこで力を使い、どこで余裕を残しているか。その設計が、滑り全体ににじみ出てきます。

同じようにノーミスで滑っていても、最後まで余裕が感じられる演技と、途中から息苦しさが見える演技では、印象がまったく違います。その差が、点数にも表れてくるのです。

つまり評価されているのは、結果だけではなく、そこに至るまでの組み立て方。そう考えると、少し見方が変わってくるかもしれません。

こうした「分かりにくさ」は、フィギュア特有の問題というより、オリンピック全体で判定が話題になりやすい構造とも重なっています。

オリンピックを観るとき、どこに目を向ければいいのか

点数を追いかける前に、まず演技の流れそのものを見てみてください。

ジャンプの前後で動きが途切れていないか、音楽と体の動きが自然につながっているか。

そこを意識するだけでも、感じ方は変わってきます。

ジャンプだけに目を奪われていると、なぜ点数に差がついたのか分からなくなります。全体をぼんやりと眺めるようにすると、演技を見終わった後の余韻が違ってくるはずです。

解説者が演技全体について語っているとき、それは細かい技よりも「流れ」を伝えようとしている場合が多いようですから、次に観るときには、その視点を少しだけ意識してみてください。

ジャンプの成否だけでなく、演技全体が醸し出す空気にも、自然と目が向くようになると思います。

雪国育ちの私も、そうやって少しずつフィギュアの奥深さを感じるようになりました。

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